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 おお、やわらかい褥のなかより

 夢みつつ、なかば耳を傾けよ。

 私の奏ずる絃のしらべに

 眠れよ。さらに何を望もうとするのか。

 
 私の奏ずる絃のしらべに

 星々の群は
 
 永遠のおもいを祝福する。

 眠れよ。さらに何を望もうとするのか。

 
 永遠のおもいは

 いや高く、神々しく

 私を現世の喧騒の巷よりたかめる。

 眠れよ。さらに何を望もうとするのか。


 現世の喧騒の巷より

 きみは私をつれなくも隔て、

 私をこの冷気のなかへと遠ざける。

 眠れよ。さらに何を望もうとするのか。


 私をこの冷気のなかへと遠ざけ、

 ただ夢のなかで耳をかす。

 おお、やわらかい褥のうえに

 眠れよ。さらに何を望もうとするのか。


 ゲーテ



(マックス・ピカート著/佐野利勝訳『沈黙の世界』「詩と沈黙-例-」の引用より)
2012.04.29 Comment:0 | TrackBack:0
 
 遠い以前に亡びた諸民族の歌の中から

 今もときどきわれらの心に親しい調子が鳴りひびき
 
 そのためわれわれは驚かされ、なかば切ない心もちで

 その歌に聴き入るのだ、ふるさとがそこにありはしないかと。


 そのようにまたわれら自身の心臓の鼓動が

 世界の心臓と密に結びついて、

 われらの眠りと覚醒とを

 日と星との運行に調和させるのも、その世界の心臓なのだ。


 そしてわれらの最も荒い意欲のどんよりした潮も、

 われらの最も不敵な空想の炎も

 あの、決して休まぬ本然の霊から生まれるのだ。


 それゆえにわれらは手に炬火(たいまつ)を持って行く、

 太源の聖なる火から生まれて養われたわれわれは

 永劫に新しい星々に向かって進んでゆく。



『ヘッセ詩集』(片山敏彦訳/みすず書房)より
2012.02.14 Comment:0 | TrackBack:0
 
 何だかわからないというのは、無のようなものではなくて、
「ほとんど無」のようなものである。

不在という現前、もしくは現前する不在である。
それゆえ、それは偏在しているものである。

それは、不可解なほどいたるところにあるのだが、
いかなる場所も占めてはいない。

それは、近くて遠いもの、
此処にして他所にあるもの、
それ自身にしてそれとは別のもの、
今にしてもっと後のものでもある。

これにたいして、一義的で曖昧さのないものは、
ある種の自己中心的な視点に関連していて、
ただあるかないかだけ、ただ現実か未来かだけのことであって、
総じてそれ自体、非―存在や他性とまるで交わるところがない。

(中略)

 何だかわからないものとは、また、
いつだかわからないということである。

たとえば、わたしたちが定義しようとしている魅力[charme]は、
いつも不在でどこか他所にあるというばかりでなく、
さらにいつも決まって遅れてやってくる。

それは、いまだあらずであって、無限に先送りされる。

それは、やがて二十四時間のあいだに今日となるであろう
経験的な明日なのではない。

それは、際限なく繰り返される明日であって、
今なのではない。


(中略)


 何だかわからないもの、それは平和の状態である。

それは、武装した休戦なのでも、宙吊りの敵意なのでもない。

そうではなくて、怒りと争いの季節を終結させる
穏やかな恩寵[grace]である。

かくして、魅力のカタルシスによって和らぎ弛緩した
思慮深い魂は、他者と、そして自己とを和解するのである。




ウラジミール・ジャンケレヴィッチ著
『何だかわからないものとほとんど無』の一節
(岡田温司『半透明の美学』より)
2011.12.31 Comment:0 | TrackBack:0
貴重な笑いの遺産

土佐の明るい風土と

暮らしの中から生まれた

おどけ者たちよ

型破りな個性の持ち主

破天荒な言動で人々の

目や耳を驚かし

笑いを誘い、町や村の

人気者に祭りあげられた

 
 いごっそう・どくれ・

 ひょうげ・そそくり
 
 とっぽーこき・いられ
 
 ろっぽーすけ・のかな奴

 おっこうがり・ハイカラ
 
 てんぽのかあ・ちゃちり


数えあげればキリがない。


愛すべきおどけ者たち。

彼らのユニークな人生行路を

のちの世まで語り継ぐのが

私たちの大切な使命なのだ。





市原麟一郎
(高知県立文学館「よみがえれ 土佐の民話」展示より)

2011.11.22 Comment:0 | TrackBack:0

 みごとな皮肉によって同時に
 書物と闇をわたしに授けられた、神の
 巧詐をのべるこの詩を何者も
 涙や怨みぐちと卑しめてはならない。

 神は光なき眼をこの書物の市の
 主となされたが、それらの眼が
 あまたの夢の図書館で読みうるものは、
 天明がその渇望にこたえて差しだす
 愚かしい数節でしかない。白日はいたずらに
 無限の書物を惜しくことなく与えるが、
 アレクサンドリアで散佚した
 難解な写本と同様、それらも難解きわまりない。

 (ギリシアの史書の記述によれば)ある王は
 噴水と園庭に囲まれながら飢渇ゆえに死んだという。
 わたしも当てどなく、この高く奥行き深い
 盲目の図書館をさまようだけだ。

 あまたの百科全書と地図、東洋と
 西洋、いくたの世紀と王朝、
 象徴と宇宙、そして宇宙開闢説などを
 壁は贈ってくれるが、それももはや無益だ。

 わが闇の裡にあって、おぼつかない杖を頼りに、
 わたしは急がず、虚ろな薄明をさぐり歩く、
 一種の図書館という形で
 楽園を思い描いたこともあるわたしだが。

 確かに《偶然》ということばでは
 名付けられない、何かがこの一切を支配している。
 影おぼろげな別の夜に、すでに多くの書物と
 闇を受けた者がほかにいるのだ。

 急がぬ回廊をさまよい歩きながら
 わたしは常に、漠とした聖なる畏怖の念とともに、
 わたしこそあの別の男、同じ日に
 同じ足を運んだはずの死者だと感じる。

 複数のわたしと一つの闇の
 この詩を書いているのは二人のうちいずれなのか?
 わたしを名指すことばに何の意味がある、
 呪いが不可分の一つのものだというのに?

 グルーサックかボルヘスか、わたしは見る、
 この愛しい世界が形くずれて
 やがて消え、夢と忘却にまごう
 淡く空しい灰と化するのを。


J.L.ボルヘス『創造者』(鼓直 訳/岩波文庫)より
2011.11.16 Comment:0 | TrackBack:0